我々は福島事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します。
本記事は,新小児科医のつぶやき2.18企画
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070207
に賛同したものです。
私にとって大野病院の件は,少女へのレイプ事件のような「目を背けていたい悲惨な出来事」であり,触れたくない話題のひとつなのだが,いつ自分にも降りかかるかわからず,避けてはいられない。K医師は警察と司法とマスコミに陵辱された被害者と見なし,実名は使いたくない。
昨年のTVドラマ「Dr.コトー診療所2006」で,中学生の開腹手術中に悪性高熱症が発生するシーンがあった。コトー先生はただちに手術を中断,ダントロレンや氷を使って対処し悪性高熱を治療,その後無事手術を終えた。手術が終わって家族にムンテラする際,「合併症が起こりましたが手術は無事終了しました」というようなことを言っていた。ドラマのセリフに突っ込んでもしかたないが,私は「ずいぶん簡単そうに言ってくれるじゃないか」と思った。
麻酔中の地雷疾患として悪性高熱は有名である。外科系はもとより,内科系の先生でもご存知の方も多いだろう。学生時代には各診療科ごとにいろいろな疾患を覚えなければならないが,麻酔科の勉強で初めて目にする疾患名といえば悪性高熱ぐらいで,ダントロレンという特効薬とペアで覚えておられる先生も少なくないと思う。麻酔中の地雷にはアナフィラキシーショックや肺塞栓などもあるが,これらは麻酔以外でも発生する。
ダントロレンのおかげか近年は死亡率が低下しているようだが,私が悪性高熱に遭遇した場合,救命できる自信はない。一度も経験したことのない事象に際し,教科書の知識で乗り切れると思うほど私は楽観主義者ではない。ダントロレンは蒸留水で溶解しなくてはならないが,あわてて生理食塩水で溶かそうとするかもしれない。また,蒸留水を使っても非常に溶けにくいらしい。強アルカリ性で配合禁忌が多いため,単独ルートで投与しなくてはならないことも失念しそうだ。開腹術なら術者に冷却水での腹腔内洗浄を頼めるとして,整形外科などでは体内から冷却するのは無理だ。冷却水で膀胱内洗浄などと簡単に言ってくれるが,麻酔科医は純酸素での過換気,大量輸液,尿量確保,高Kの補正,ダントロレン専用ルートの確保などやらねばならないことは山ほどある。人手の少ない田舎の病院で乗り切れる自信はない。Dr.コトーのドラマでは,専属の麻酔科医もいない中,コトー先生以外は不慣れなナースと和田さん(役場の職員)だけで悪性高熱の対処に成功し,さらには手術も完遂した。ドラマとはいえ,悪性高熱も軽くみられたものだ。
恥ずかしながら,私は胎盤癒着(癒着胎盤)という病態を去年の今頃まで知らなかった。発生頻度の詳細な数値は産科の先生方にまかせるが,「産科医として一生涯働いていて一回遭遇するかどうかという頻度」という表現をよく目にする。悪性高熱も「麻酔科医として一生涯働いていて一回遭遇するかどうか」と思われ,まさに産科医にとっての胎盤癒着は麻酔科医にとっての悪性高熱と言っていいだろう。
K先生に起こったことは他人事ではない。私がいつもように麻酔の仕事をしていて悪性高熱という非常に稀な病態に遭遇し,奮闘むなしく残念な結果に終わった場合に逮捕されるわけである。今までにも何度も書いたが,修羅場の中で医師が秒単位で下した決断を後日何ヶ月もかけて吟味すればいくらでも疑問点は見つかる。体温上昇に気づくのが遅かったのではないか? 手術中止の判断は遅くなかったか? ダントロレンの使用方法・投与量は間違ってなかったか? 麻酔器を交換すべきと書いてある教科書もあるが何故そうしなかったのか? 悪性高熱の家族歴の術前聴取は充分だったか? 数え上げればきりがない。
K医師は患者死亡から1年以上経過してから逮捕された。病棟で勤務中にナースや入院患者の前で逮捕されたというのはどうやらデマだったらしいが,手錠をかけられて連行されるシーンはTVで放映された。
一生に一度遭遇するかしないかの事象に当たり,努力しても結果が悪ければ逮捕-これではとてもやってられない。
富山の冤罪事件では誰も責任を問われていない。福島県警高速道路交通警察隊の男性巡査部長がタクシー運転手に暴行して入院させた事件では,巡査部長は逮捕されず氏名も公表されていない。
警察・司法は自分たちには大甘だが,医師に対しては刑事訴追の機会を鵜の目鷹の目で狙っている。リスクが予測できる疾患・病態にはなるべくかかわらないようにするしかない。これは皮肉や冗談ではない。事前に察知できない地雷疾患への対策としては,「ひとりで医療を行わない」ぐらいしかない。マンパワーがあれば最悪の事態を回避できることもある。産科も集約化が進むとK医師のように“犠牲になる医師”は減ることが期待できる。産科集約のせいで代わりに犠牲になるのは誰か,警察と司法とマスコミは胸に手をあててよく考えてみることだ。
「恥を知れ」で一躍有名になった日刊スポーツの井上真記者はかの記事で
>時間的余裕もあり誰でも治せて、助かる確率が高い患者だけを選んでいるのか?
と問うているが,まさにその通りである。助かる確率が低い患者に手を出すと,結果次第では逮捕されるのだから。文句は医師にではなく,警察と司法に言うべきだ。何かというと医師を目の敵にする偏向報道を続けているマスコミも同罪だが。
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Comments
はじめまして、循環器内科医のDr. Iと申します。
悪性症候群でダントロレンというのは、学生の時に覚えて、今でも知ってはいるのですが。
当然の事ながら、私は見た事がありません。
まれな疾患でも救命できなければ訴えられる、というのは、どの科でも言えるのでしょうし。
全く人ごとではありませんよね。
訴えられないようにするには、悪い患者を診ない、って事しかないのでしょうね、今のところ。
Posted by: Dr. I | February 18, 2007 at 02:57 PM
Dr.Iさん,こんにちは。
地域性もあるのかもしれませんが,私の周囲では経験豊富な先輩方でも悪性高熱症を実際に経験したことのある麻酔科医はほとんどいません。一時期は「そろそろ悪性高熱のムンテラはしなくてもいいのでは」という意見も出たくらいです。
本当に,民事訴訟や刑事訴追を避けるにはイージス医療しか他に道はないと思います。
Posted by: 管理人 | February 18, 2007 at 03:15 PM
先日、食道静脈瘤の破裂に遭遇しました。まあなんとかして事なきを得ましたが。恥ずかしながら看護師になって初めての経験で大変慌てました。
というのもそれが早朝の、20人分の検温と採血とDM患者(複数)の血糖測定とインスリン注射と腎不全患者(複数)の体重測定と点滴の更新と食前薬の内服と・・・その他諸々のタスクが一斉にある魔の時間帯でして、その傍らで認知症老人がベッド柵乗り越えて落っこちそうになってて・・・。もうひとりいる看護師も同様に20人分のタスクを抱えているわけですが。
さあどうする身体は一つしかない。
この状態で他の誰かに何かが起きたりした場合、わたし達も民事で訴えられることはありうる話ですし、特に事故リスクの高い認知症老人を在宅で持て余して社会的入院させている家族ほど何かあれば騒ぐわけで・・・。
Posted by: えぼり | February 19, 2007 at 07:31 AM
えぼりさん,こんにちは。
悲しいことですが,医療を生業としていると民事訴訟や刑事訴追の危険がもれなくついて回る世の中となってしまったようです。
選択肢は,(医療従事者にとって)より安全な職場に移る,今の職場を(医療従事者にとって)より安全な体制に変える,医療従事者を辞めるの,3つくらいしか思い浮かびません。私にとって2番目と3番目は難しかったので,1番目を選びました。お産と同様,麻酔も「無事終了して当たり前」ですので,フリーランスだからといって安心できるわけではありませんが…。
Posted by: 管理人 | February 19, 2007 at 06:06 PM
賛同させていただきます。外科系勤務医です。
今日は初めてコメントさせていただきます。
今の子供達が、高齢になっても日本で適切な手術が受けられるためにも、
K医師の無罪をこころよりお祈り申し上げます。
Posted by: きなこもち。 | February 18, 2008 at 12:31 PM
きなこもち様,ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
Posted by: 管理人 | February 18, 2008 at 10:15 PM