« August 2006 | Main | October 2006 »

September 28, 2006

やられキャラ

常勤の麻酔科医はフリー麻酔科医をこころよく思っていない。

フリーターの派遣を依頼したのが一人医長の麻酔科医なら問題ない。その医長は自分の判断でフリーターを雇ったのであり,フリーターのことが嫌いなら最初から雇ったりしない。複数の麻酔科医が働く病院で,麻酔科のトップがフリーターを雇うと決めた場合に問題となる。麻酔科部長は部下の負担を少しでも減らそうとして非常勤麻酔科医を雇ったのかもしれない。しかし,中堅や下っ端の麻酔科医たちは当初こそ仕事の軽減を喜ぶが,次第に以下のような反感を持つようになる。
「術前診に麻酔のムンテラ,術後回診は俺らに任せ,朝もゆっくり来やがる」
「この病院では週に1回しか働いていないのに月に○○万円も貰いやがって,毎日働いている俺とそんなに変わらないじゃないか」
「俺が麻酔してる手術はまだまだ終わらないるのに,簡単な手術の麻酔だけしてさっさと帰りやがって」

自分が常勤医として働く病院にフリー麻酔科医がいない場合はどうか。ムンテラを肩代わりしたわけでも,明るいうちに帰るのを見たわけでもない。しかしなぜか,噂で聞くだけのフリーターに反感を持っている。

そして誰もが(期待をこめて)こう言う。「フリーター麻酔科医が稼げるのはここ数年だけ」

勤務医のストレスが大きいのはわかる。麻酔科に限らず,日本全国の勤務医の多くは労働基準法を無視した滅私奉公,自己犠牲を強いられている。そしてその重労働に見合った報酬を得られるわけではない。患者側の安全要求・医療への期待は高く,一定の確率で起こる有害事象も不可抗力も医療ミスと言われる。そのためICに割く時間は年々長くなる。私が研修医だった頃,もちろん麻酔同意書などは存在せず,ベッドサイドで話すだけの麻酔のムンテラは要領の悪い私でも10分程度であった。今なら麻酔説明書に沿って早口でまくしたてても30分はかかる。最近は病院機能評価に向けての会議も多い。ICや会議に時間を割かれ,ラパロなど時間のかかる手術も多くなっている。常勤麻酔科医のストレスは貯まる一方だ。しかし,だからといってドロッポしたフリーターを敵視するのはお門違い。奴隷勤務医がイヤになって飛び出た人間を裏切り者扱いしたくなる気持ちはわからないでもないが,怒りの矛先を向ける相手が違うはずだ。

不思議なのは,(保険診療のできる)正規の麻酔科開業医に対してはみんなそれほどの嫌悪感を抱いていないということ。仕事内容はほとんど同じなのに,どういうわけかフリーター麻酔科医は“やられキャラ”になる。
「厚労省や病院局などと交渉し,苦労して保険診療を認めて貰った麻酔科医は立派だが,ただアルバイトしているだけのフリーターはけしからん」といったところか。

結局,フリーターという,後ろ盾のない存在は叩きやすい。
フリーターという語感から,経験の少ない若い医師を想像する。若い相手は叩きやすい。
自分も気楽なフリーターになりたいが,諸般のしがらみで実現できない。自分ができないことをしている人間は否定したい。
あげくの果てには,「こんなフリーター麻酔科医は医療ミスを起こして訴えられればよい。いままで儲けた分が賠償金でパーだ」

私にも嫌いな医者は山ほどいる。しかし彼らが医療ミスを起こすことを願ったりはしない。医療ミスが起こると必ず不幸な患者が発生する。その患者はこちらの人間性さえも否定したような極悪DQNとかではなく,全く見ず知らずの人。「医者が患者の不幸を望むようになったら終わり」などときれい事を言うつもりはない。因果応報-誰かの医療ミスを願うと自分がそれをやる羽目になる。

フリーターという用語を連発したが,一応私は保健所に開業届を出している。せっかくなのでパソコンで作れないような名刺を業者に発注したら,肩書きのクリニック名が宛名になって送られてきた。ネットで買い物することの多い我が家には宅配がよく来るし,担当の兄ちゃんも同じだ。その彼が「あのー,○○クリニックって,こちらでよかったでしょうか?」  無理もない。看板などないし,表札にも書いていない。

名刺の「院長」がむなしい。私を院長と呼ぶ人はひとりもいない。やられキャラに敬称など必要ないか。

| | Comments (115) | TrackBack (1)

September 21, 2006

BDS(Basic Delivery Support)

勤務医が長時間労働とDQN患者への対応に疲れ果て,その病院を辞めるとする。多くの医師は今まで培った知識と技術と経験を生かせるかたちで開業するだろう。しかし,産科の場合は例外だ。病院勤務の産科医が病院を辞めて産科を開業するなど,地雷原を避けるために別の地雷原を歩くようなもの。病院勤務だろうが開業医だろうが,妊婦が産気づけば真夜中でも呼ばれ土日も満足に休めないのは同じだ。交代要員のことを考えると開業医のほうがつらいかもしれない。産科医を続けている限り,児がCPになれば訴えられ,やむをえない母体死亡で逮捕される可能性もある。産婦人科の勤務医が病院を辞めるにあたり,今までお産ばかりやっていて不妊や子宮癌など婦人科領域が不得意だったとしても,わざわざ危険な産科を新規開業するのはきわめて少数派だろう。

産科が他の診療科と異なるのは,開業医さえもお産から撤退しはじめたこと。自分が理想とする労働環境を構築できるであろう一国一城の主,開業医でさえお産から手を引きはじめていることを政治家もマスコミも国民も重く受け止めるべきだ。

小児科医も減っているが,小児科の看板を降ろすのは病院だけである。私の周辺では小児科クリニックの新規開業が増えている。開業小児科にも小児救急や訴訟リスク・DQN親の問題はあるだろうが,クリニックと自宅をまったく別の場所にすれば夜中にたたき起こされることは少ない。DQN親は昼間の診療時間にも来るかもしれないが,彼(女)らの多くはパチンコ店が閉まる午後10時以降に子供を連れて来ると聞いたことがある。がんばってクリニックを午後7時まで開けていてもDQNとの遭遇は,少なくとも勤務医時代よりは減るはずだ。それに無床なら「入院させろ」「必要ない」のトラブルもない。引退や健康上の理由は別として,開業小児科医が小児科から撤退する話はあまり聞かない。

福島県立大野病院,尾鷲総合病院,堀病院…。産科医のモチベーションを下げるニュースには事欠かない。これからも産科の廃業は各地で広がるだろう。そして “自然なお産”推進派が絶賛する助産院でのお産は確かに増えていくと思われる。しかし,産科と産科医の減少をカバーできるほど助産院と助産師が足りているのか疑問だ。おそらく県内に一カ所か二カ所しかない,遠くの周産期センターに運ぶ途中で分娩,あるいは助産院で分娩を始めたものの異常分娩となって近くの病院(産科医無し)に担ぎ込まれたりすることが多くなるのは火を見るよりも明らかだ。つまり,一般人が赤ちゃんを取り上げたり,産科以外の医師が異常分娩に直面したりする機会が増える。もしかしたら,それは心肺停止患者に遭遇する確率よりも高いかもしれない。

BLSやACLSなどと言っている場合ではない。これからは一般市民にはBDS(Basic Delivery Support),医療従事者にはADNS(Advanced Delivery and Neonatal Support)を習得してもらわねばならない。インストラクターなら大丈夫,産科を廃業した先生たちは日祝日がフリーのはずだ。どこが主催するか知らないが,無限連鎖講よろしくプロバイダーコースの受講料で大もうけできる。スケベなオヤジどもはBLSには興味なくてもBDSの講習ならすすんで受けるかもしれない。医療従事者にしても,自分が当直中に股間から胎児の足だけが出た妊婦が運ばれてくる可能性がある。受講料が少々高くてもADNSは受けねばなるまい。あるいは研修医時代に必修か。

最近はいろいろな施設にAEDが設置されるようになってきたが,今後はAEDに並んでお産セットも常備すべきだ。多目的トイレに分娩台と産湯用バスタブも併設する必要がある。

| | Comments (9) | TrackBack (1)

September 17, 2006

麻酔看護師より臨床説明師


「94歳私の証・あるがまま行く」
麻酔科医不足を解消するには

日野原重明

リンクが切れることがあるので引用する

------------------------引用開始----------------------------------

 小さな病院や地方の病院では慢性的に麻酔科医が不足しています。そうした病院では、平日は麻酔下の手術ができず、週末に大都市の大学病院や国公立病院から麻酔科医が出張するのを待って手術している状態です。

 日本では1954年に日本麻酔科学会ができ、63年に麻酔専門医が誕生しました。専門医の資格がなくても、医師であれば麻酔術を行うことは可能ですが、安全性を優先して麻酔科医に任せる傾向が強いようです。

 麻酔科医の志願者が最近は減っていることも不足に拍車をかけています。

 米国では、看護教育がめざましく進歩した結果、看護師の資格をもつ者で麻酔学の一定の課程をとった者は、麻酔看護師として働けるという制度が早々につくられていました。おかげで、現在の米国では、外科手術の麻酔術の大半は、こうした専門看護師の手によって行われています。

 麻酔科医不足が深刻化する一方の日本において、私は大胆な提言をしたいのです。

 日本でも米国と同様に、麻酔科医の領域を看護師に担わせればよいのです。4年制の看護大学を卒業して資格を得た看護師が、大学院の2年の修士課程、さらには3年の博士課程で麻酔学を習得すれば、麻酔技術を担当するのに十分です。安全性を懸念する声もありますが、十分な教育を受けた看護師が、麻酔専門医の監督する病院に勤務すれば、専門医の不足は解決できるのではないかと思います。

 少し話がそれますが、日本には48年に制定された保健師助産師看護師法があり、3者とも、その業務は医師の診療を援助するものと規定されています。日本でも米国に負けないくらい看護学が進歩し、多くの看護大学に大学院研究科が設けられ、現在は86の修士課程と37の博士課程が開設されています。医学のもっと広い領域で看護師の仕事の幅が広がっても危険はないと思います。

 米国では40年も前から、大学院レベルで臨床医学の研修を2年以上受けた看護師は、訪問医療を独立して行える資格が与えられています。また、病院の外来でも医療(診断治療)を行える制度もあります。

 訪問看護師がある程度の診断や医療を行えるような法律改正が日本でも早くなされることを私は切望します。皆さんがこうした法律改正を応援してくださることを期待しています。

------------------------引用終了----------------------------------

常勤麻酔科医がひとりしかいない田舎の病院を例に考えてみよう。田舎といっても手術が多く,麻酔科のひとり医長はかねがね麻酔科医が増員されることを望んでいた。しかし,それはかなわず麻酔看護師が派遣されたとする。果たして麻酔科医の負担は軽減するか?

まず,開腹術を例に一般的な麻酔科医が行う業務を列挙する。

手術前日まで
カルテを読んで麻酔に関するリスクを検討する。
麻酔計画を立てる。
患者を診察し,患者および家族に麻酔の内容とその危険性について説明する。
場合によっては麻酔計画の変更を検討する。
オペ室ナースに必要な準備(Aライン,硬麻の用意など)を連絡する。

手術当日患者入室前
麻酔に使う薬・点滴の準備(ナースがする施設もあり)

患者入室後
静脈ラインがなければサーフローなどで静脈路確保(ナースでも可)
硬麻を入れる。
酸素を流す。
静脈麻酔薬や筋弛緩薬を投与しマスク換気
酸素と空気(または亜酸化窒素)の配分を調整
気管挿管
麻酔器の人工呼吸の設定
経鼻胃管挿入
必要があればAライン確保
必要があればCVライン確保

手術中
麻酔記録の記入(最近は自動記録装置が多い)
気化器やシリンジポンプのダイヤルを調節
酸素と空気(または亜酸化窒素)の配分を調整
呼吸・循環動態の監視(モニターの監視ならナースも可)
各種麻酔薬・循環作動薬の投与
輸液の調節
輸血の判断・実行

手術終了後
麻酔からの覚醒具合を判定
筋弛緩薬をリバースし,気管内および口腔内を吸引後に抜管
気道の開通・覚醒状況・バイタルサインなどをチェック
使用した麻酔ガスの計算
麻酔記録に漏れがないかチェック
退室しても大丈夫であることを確認し,病棟へ送る。

その後
病棟で術後回診,バイタルサイン・有害事象のチェック

病院によって多少の過不足はあるだろうが,ざっとこんなものだろう。


数年かけて麻酔看護師を養成するのであれば,上記のうちのいくつかを麻酔看護師にしてもらうことになる。
全部できるようにすれば,麻酔科医と何ら変わらない。そうなると,麻酔科医になりたいと思う医師はいなくなるだろう。今のナースではできないが,麻酔看護師にはできる仕事。そう,助産師の内診のようなものはどれにあたるか。

術中に血圧が下がった場合,出血によるハイポボレミアか麻酔が深すぎるのか,それとも術者がIVCを無意識のうちに圧迫しているのか判断し対処しなくてはならない。勝手に輸液速度を変えたり昇圧薬を入れたり気化器のダイヤルをいじられたりしたのでは困る。血圧低下の原因は他にもある。低血圧の原因の究明もしくは推測とそれに対する処置は短時間のうちに行われるが,れっきとした診断・治療である。

硬麻はどうか。本職の麻酔科医には硬麻が大好きな達人もいる一方,撤退したがっている者もいる。そんな危ないことをさせるのは無謀だろう。脊麻だって合併症が多くて危険だし,最近訴訟が多いCVカテーテル挿入など論外だ。

やはり気管挿管か。何しろ救急救命士でも可能な手技になっている。しかし,マスク換気から気管挿管まで5分とかからない。これを麻酔看護師がしてくれても麻酔科医はそんなに楽にはならない。気管挿管の成否は命にかかわる。麻酔専門医がそばにいようがいまいが,麻酔看護師の気管挿管でトラブルがあった場合,責任を問われるのはその麻酔専門医だ。自分の代わりに挿管してもらっても仕事の負担は軽減されず,責任だけが残る。こんなバカな話はない。抜管も同じだ。「大丈夫と思って抜管したら,呼吸状態が悪くて再挿管」など麻酔科医なら誰もが経験している。

カプノメーターやパルスオキシメーターの数値や波形をみて人工呼吸器の設定を変える? 気道内圧とのかねあいもあるし,これらも診断と治療だ。

結局,麻酔科医が自分の代わりにしてくれて有り難いのは,生体情報モニターの監視ぐらいではないのか。これなら今のナースでもできる。それとも「手術中の麻酔モニターの監視ができるのは麻酔看護師のみ。一般看護師はしてはならない」とする厚生労働省医政局看護課長通知でも出して,違反した麻酔科医を検挙するか?

医師の代わりに麻酔する麻酔看護師などよりも,医師の代わりにインフォームドコンセントをとる“臨床説明師”とかの職種を作って欲しい。麻酔にしろ手術にしろ,併存疾患がある患者や珍しい手術などでは従来通り医者がICするが,一般的・定型的な手術・麻酔に関してはムンテラ師が説明すればよい。医者はその症例独自の問題点について簡単に説明するだけ。「それでは足らない。一時間くらいかけて医者から詳しい話を聞きたい」という患者には医師によるムンテラを有料とするのはどうだろう。専門家から情報を得るのは本来有料のはずだ。

最近はPPF投与にもIC,CVカテーテルもIC,AラインもIC,そのうち点滴入れるにもICが必要になるだろう。おかげで医師の時間は削られ,カルテの書類は増える一方。ムンテラ師がこれらのICもしてくれるなら,医師の負担は大幅に軽減される。「楽することばかり考えやがって」と言われるかもしれないが,医師には医師にしかできない診察,検査,診断,治療に専念させるほうが効率的だと思う。医師が不足しているのは産科や小児科だけではない。内科や外科も足りてない病院も多い。医師の数が少ないなら,効率的に働いてもらうほうが患者側にもメリットがあるはずだ。


| | Comments (119) | TrackBack (1)

September 11, 2006

医療崩壊のイメージ

“医療崩壊”という用語をよく見かけるようになって久しい。
「僻地で始まっている」「都会でも始まっている」「産科・小児科・救急で始まっている」「公立病院で崩壊中」「大学病院が崩壊寸前」「もうすぐ崩壊する」「今すぐ手を打たないと」「既に手遅れ」

現在進行中で今のペースでだらだら続くのか,あるいは臨界点に達したときに轟音とともに崩れ落ちるのか。

医療崩壊に関して抱くイメージは人によって異なるだろう。

A:ダムの決壊
満々と水を貯えたダム湖がある。老朽化によりダムのあちこちに小さなヒビが入り,わずかながら水が漏れ出す。個々のヒビは少しずつ大きくなり,新たなヒビも発生し続ける。ついには多くのヒビがつながり,ダムが決壊,下流にある村を濁流が飲み込む。
村の住人たちはダムの水力発電で電気を得ていたが,「自分たちに恩恵を与えてくれていたダム(医療)が壊れるとは思わなかったし,壊れたときの危険性を想像できなかった」

B:斜面を転がり落ちる大岩
なだらかな丘の上に球形の大岩がある。岩石のまわりの地面には中小の石ころが散在し,岩石を固定する役目を果たしている。この石ころが少しずつ取り去られる。車止めをなくした岩石はやがてゆっくりと動き出す。丘の傾斜は緩やかなので大岩の回転は緩慢である。しかし,いったん動き出したならもう誰も止められない。位置エネルギーを運動エネルギーに変え,転がる速度は増す。そして,その重量と速度によって麓の村を破壊する。
なだらかな丘にも高度はある。大岩が置かれていた丘(医療への期待・要求)が高ければ高いほど,下って来たときの破壊力は大きくなる。
人々は「遠くから大岩が転がって来るのは見えたが,ゆっくりだったしまさか自分たちのところまで来るとは思わなかった」

C:枯渇する泉
村が管理する泉がある。他にも池や沼はあるが,そのまま飲み水に使えるのはここだけ。安価ながら使用量を村に払う制度。最初のうちは誰もが飲み水だけをここで汲んでいた。しかし,一部の心ない者が洗濯用にもお風呂用にもこの水を汲み始めた。彼らの言い分は「その分の金も払うんだから文句ないだろ」。それを見た他の者たちも「自分だけ我慢するのは馬鹿らしい」と同じように大量の水を汲みだした。泉の使用量を免除されている一部の連中はまったくタダだから,無駄使いし放題。大勢の人間がそれぞれ大量に採水するようになったので泉は慢性的に水不足となり,小雨の年にとうとう枯れてしまった。
飲み水を得られなくなった人々は「水(医療)なんてタダ同然だし,まさか泉が枯れるとは思わなかった」


Aのダム決壊のように,臨界点に達していっきに崩壊するイメージを抱いている人が多いのではないだろうか。だとすれば,医療崩壊の臨界点とはなんだろう。

国民皆保険制度の破綻にしても,お産難民・手術難民の増加にしても,ある日突然やってくるとは思えない。健康保険に関しては保険料アップ,自己負担率アップ,免責制の導入などの対症療法が行われたとしても,これらがダムのヒビの補修になるのか。保険料も自己負担も多くなれば,「保険料を払わず,病気の時は全額自費で払うほうがましだ。運良く病気にならなければ,保険料の分を丸儲けできる」と,むしろ保険未加入者の数が加速するだろう。転がる大岩のように。

イギリスの医療のようになるにしても,予約外来受診や入院までの待機期間がいきなり3か月になったりしない。許容範囲内から少しずつ少しずつ,確実に長くなっていくはずだ。そして気がついたら「骨折なのに,整形外科医に診てもらうまで2か月」「癌の疑いで紹介されたのに,専門医の診察まで3か月,さらに手術まで3か月」。頻繁に泉を利用している人は泉が枯れつつあることを知っているが,久しぶりに泉に来て初めて,泉の枯渇を知った人はショックだろう。何しろ飲み水がなければ…。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

September 08, 2006

麻酔科医に禁固2年求刑

------------------------引用開始------------------------

金沢市の医療福祉施設で行われた男児=当時(4)=の足首の手術で、麻酔から覚める際に適切な処置をせず男児を死亡させたとして、業務上過失致死罪に問われた金沢大名誉教授の麻酔医村上誠一(むらかみ・せいいち )被告(80)の論告求刑公判が28日、金沢地裁(堀内満(ほりうち・みつる)裁判長)であり、検察側は禁固2年を求刑した。

検察側は論告で「気道確保のためのチューブを気管内に挿管したことを確認すべきなのに、食道へ挿管して長時間放置した初歩的な過失」と指摘した。村上被告は無罪を主張している。

論告によると、村上被告は2001年2月、石川整肢学園で麻酔医として男児の手術を担当。男児が麻酔から覚める際、気道確保を適切に行わなかったため、男児を急性呼吸障害で死亡させた。

遺族が同学園と村上被告に損害賠償を求めた民事訴訟は、昨年末に和解している。

(共同通信社、2006年8月29日)

------------------------引用終了------------------------

まずは男児のご冥福を祈るとともに,遺族には心よりお悔やみ申し上げる。


どのような経緯があったのか,上の記事では詳細はわからない。

食道挿管のまま手術を完遂できるとは思えないので,手術中は正しく気管挿管されていたと推測される。

手術が終了して抜管したが,呼吸状態が悪くなり再挿管しようとして失敗したのか?
聴診や胸郭の動き(視診)ではわかりにくかったのか?
カプノメーターは最初からなかった,あるいは外した後に再挿管したのか?
再挿管後にパルスオキシメーターの数値は改善したのか? それともこれも外していたのか?

>食道へ挿管して長時間放置した初歩的な過失

この長時間がどれほどの時間なのかわからないが,食道挿管で自発呼吸がなければものの数分あるいは数十秒で心停止に至るだろう。自発呼吸が残っており,気道も閉塞していなかったのではないか。
人工呼吸器にしろTピースにしろ,食道挿管で酸素は胃に送られるものの,自発呼吸があれば肺にはルームエアーが届く。この自発呼吸のおかげでSPO2の急激な低下は免れたのかもしれない。

自発呼吸がない患児に食道挿管したなら,すぐに状態が悪化するので挿管失敗に気づくだろうし,マスク換気や挿管のやり直しなどの対応をただちにとれただろう。

報告者の氏名がそのまま疾患名になったような症候群では小顎症などを伴うことが多い。男児がこのような症候群だったかどうかは不明だが,挿管困難症だった可能性はある。手術前の最初の挿管では筋弛緩が効いていて口も良く開き体動もないため何とか挿管できたが,抜管後の再挿管では体動や分泌物で条件は悪くなったということは充分考えられる。成人の挿管困難に対しては多くのストラテジーがあるが,小児にも使えるものは少ない。挿管が難しいならばラリマという手もあるが,元麻酔科教授とはいえ当時75歳の先生が小児にラリマを使用した経験があるかどうかも怪しい。

また,麻酔科の名誉教授が「よし,挿管できた」と言っているのに,「食道挿管ではないですか」と言える整形外科医や看護師はまずいない。

表MLを見て書いたわけではない。下書きしたのは昨日だ。


| | Comments (99) | TrackBack (0)

September 03, 2006

小児の鼠径ヘルニア

小児の鼠径ヘルニア根治術の麻酔では迷うところが多い。大人ならルンバールだが小児なので全身麻酔となる。まず気道確保を気管挿管・ラリマ・フェイスマスクのいずれにするかで迷う。熟練した外科医が本気でやってくれるなら短時間なのでフェイスマスクでOKだが,研修医などに教えながらの手術だと結構時間がかかる。自動麻酔記録装置があったとしても両手がふさがるのが不安だ。昔はマスク麻酔しながら血圧を手動で測定し,麻酔記録もボールペンで書き込んだりしていたが,そんな曲芸は今はできない。

マスク麻酔の利点は気管挿管やラリマ挿入による合併症がないことと,筋弛緩を使用しないのでリバースする必要がないことである。小児は人生経験が短い。高齢者はそれまでの人生でいろいろな薬を経験しており,アレルギーを起こす人なら既知のことが多い(もちろん例外もある)。小児ではほとんどの薬が初体験。使用する薬剤は少ないほうが無難だ。マスキュラックスを使用しなければワゴスチグミンも使用しなくてすむ。導入時の心拍数が充分なら硫アトも不要かもしれない。マスク麻酔の欠点は前述のとおり両手がふさがることと,誤嚥を防げないこと。

気管挿管の利点と欠点はマスク麻酔の裏返し。利点としては誤嚥の危険性は低く,人工呼吸器に乗せてしまえば麻酔科医の両手は自由になる。欠点は(もちろん筋弛緩無しでも挿管は可能だが)マスキュラやワゴスなどが必要になることと,挿管に伴う合併症の危険性があること。

麻酔の導入に関しても迷うことがある。静脈ルートが確保されていない場合は迷うことなくスローインダクションだが,病棟で既にルート確保されていた場合に迷う。何のためらいもなくプロポフォールで急速導入している施設も多いだろうが,添付文書では「低出生体重児、新生児、乳児、幼児または小児に対する安全性は確立していない( 使用経験がない)」とされている。それに静注時の血管痛の問題もある。バルビツレートやドルミカムという手もあるが,維持をGOSとするならセボフルレンも笑気もどうせ維持に使うのだから,これらを導入にも使えば静脈麻酔薬によるアナフィラキシーは回避できる。

例えば,プロポフォールで急速導入しアナフィラキシーショックが起こったとする。そして心停止となって不幸な結果となった場合,警察・司法・マスコミがどういう態度と行動をとるか想像に難くない。
「小児には使用が認められていない薬剤を用いた」
そして,マスコミが用意する麻酔科医の発言は「私なら小児の鼠径ヘルニアならマスク麻酔のみで行うので,プロポフォールは絶対使用しない。挿管やラリマだからプロポフォールを使用することになる。最近の麻酔科医は短時間の手術でもすぐ人工呼吸器に乗せて楽をしたがるからこのようなことが起こるのだ」

一方,GOSでスロー導入してそのままGOSのマスク麻酔をしている最中に胃内容が逆流した場合はどうなるか。通常は禁飲食なので誤嚥の危険性は低いはずである。しかし理解の悪い親族が密かに食べさせるケースもある。麻酔前に乳児に「今日何か食べた?」と尋ねても答えてくれない。誤嚥性肺炎となり不幸な転帰をたどった場合の警察・司法・マスコミも予想がつく。
「未熟な麻酔科医による医療ミス」
「小児の顎は小さく脆弱なため,マスクを保持するには高度な技術を要する。また,成人に比べ口腔内に占める舌の容積比が大きくなるため,気道の開通が困難でマスク換気では酸素は肺ではなく胃に流れやすい。その結果,胃が膨満して嘔吐しやすくなる。担当麻酔科は自分の技術を過信し,誤嚥を防げる気管挿管を行わなかった」
「気管挿管していれば誤嚥など起こらなかった」
親族がNPOを守らせなかったこととか,挿管を選択しても導入中に誤嚥する可能性のあることは表にでない。

医療において不幸な結果が生じた場合,決断の分岐点までさかのぼり他の選択肢を採用した場合の利点のみを強調すれば,医師を犯罪者にするのは簡単だ。

医療行為の選択肢が多いというのは患者と医師の双方にとって幸福なことだと思っていたが,医師にとってはそうでもないようだ。

ところで小児の鼠径ヘルニアと言えば

-------------------------------------------引用開始------------------------------------
乳児ぼうこう切除、ヘルニア手術で初歩的ミス…大阪

 大阪府枚方市の星ケ丘厚生年金病院で昨年2月、ヘルニア手術を受けた1歳の乳児が、誤ってぼうこうの大半を切除されていたことが、わかった。

 当時、小児外科の専門医がおらず、同病院は「小児手術の経験が少ない執刀医による初歩的ミス」と認め、両親に謝罪した。

 28日会見した吉矢生人院長(67)らによると、ミスがあったのは、腸の一部などが足の付け根部分で皮膚の下に出てくるヘルニアの手術。主治医の男性外科医(30)が、腸を覆っている腹膜を取り出そうとして、誤ってぼうこうを取り出し、そのまま4分の3を切除した。別の男性外科医(38)が指導役として立ち会っていたが、気付かなかったという。
(読売新聞)

-------------------------------------------引用終了------------------------------------

小児の鼠径ヘルニアの手術は切開創が小さく,難しそうだなとは思っていたが…。

これはまずい。

最近の医療トラブルの新聞報道を見ていると,教科書にもよく載っているような合併症や不可避の有害事象でも“医療ミス”とされることが多く,記者の無知と悪意に憤懣やるかたないが,今回は紛れもなく過誤だろう。

我々医療従事者は,言いがかり的な“医療ミス”呼ばわりは断固として否定するべきだが,上のようなミスはミスとして認めることも大事だと思う。

それにしても,若い外科医がもっと若い外科医に教えながら小児鼠径ヘルニアの手術をしているのを何回か経験したが,あれは実は怖いことだったのか。

| | Comments (114) | TrackBack (0)

« August 2006 | Main | October 2006 »