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October 28, 2005

電子カルテ

麻酔科に予定手術の依頼があると麻酔科医は手術前日や前々日くらいに病棟へ行き,カルテやレントゲンで麻酔上のリスクを評価し,patientの診察を行うのが通例である。ところが大病院では,麻酔科医が病棟に出向いても担当症例のカルテになかなかたどり着けないことがある。その理由としては以下のようなことが挙げられる。

1)回診中…その診療科のすべてカルテがカルテラックごと詰め所から出される。担当症例の回診の順番が最後のほうなら,先回りしてpatientの診察は可能。

2)検査室へ行っている…エコーなどの検査ではpatientとともにカルテも検査室に送られている。

3)カンファレンス中…絶望的である。カルテとフィルムケースは当分戻ってこない。patientの診察は可能。

4)ムンテラ中…カルテ,フィルムケース,patientとも面談室に。それほど時間はかからないので待つという手もある。

5)主治医が取り込んでいる…カンファレンスの準備や書類作成のため,研修医が別室に持ち込んで作業していることがある。学生がレポート作成のために取り込むこともあり。

大病院のナースは無愛想な人が多い。特に病棟のナースは麻酔科といっしょに働くことがないためか,麻酔科医に対して冷たい。決して「カルテが戻ってきたらPHSで連絡しましょうか?」などとは言ってくれない。病棟に行く前にこちらから詰め所に電話してカルテの有無を確かめれば済むことなのだが,複数の症例があたっていると「どれかはあるだろう」と確認せずに行くことも多い。担当症例のすべてのカルテを見終わるまでに病棟まで何回も往復することがたびたびあった。また,やっと見つけたフィルムケースの中身は整理されておらず,一番新しい胸部XPを探すのにも苦労した。

カルテが電子化されると,近くにある端末から検査データを確認でき,術前の指示もできるようになった。これはとても便利である。病棟まで出向かなくてもいつでも自由に(麻酔業務中ですら)明日の症例のカルテを閲覧し前投薬も出せるようになったため,病棟ナースから「早く指示を出しに来て」と催促されることも少なくなった。ただし,紙のカルテが廃止されたわけではなく,主治医が書く現病歴や既往歴,日々のSOAPなどは昔ながらのバインダー式カルテに記載されている。これらの情報は電子版カルテにも入力可能なのであるが,やはりキーボード入力は面倒なのだろう。主治医にもカルテの主執筆者にもなったことのない私にはカルテ記入の労力はわからないが,できれば肉筆のカルテは廃止してもらいたいと思ったものだ。肉筆カルテでは悪筆すぎて読めないどころか,もはや情報伝達の機能を放棄したとしか思えない文字もあるからだ。

現在,私は電子カルテとは無縁の中小病院でしか働いていない。前日までにもらった情報で気になる合併症がある場合のみ,術前に病棟へ行ってカルテをチェックするようにしている。大病院とは違い,病棟のナースは親切で,私がカルテを探すそぶりを見せただけで,すかさず「どなたのカルテをお探しですか?」と声をかけてくれる。手術直前なのでカルテは必ず詰め所にある。フィルムケースもちゃんの所定の場所にあり,中も整理されている。

私が勤務する中小病院に電子カルテが導入されたらどうなるだろう。おそらく私にアクセス権は与えられない。田舎の病院の,ただでさえ狭い詰め所に多くの端末が設置されるとは思えない。手術直前で時間がないにもかかわらず,誰かが使用中なら待たねばならない。端末が空いていそうなところ(昼間の医局など)はつまり人が少ない。アクセス権のない私は,誰か(名前も知らない内科系医師など)に頼んで担当症例のカルテを開いてもらわねばならない。

大病院では電子カルテが有り難かったが,現在の勤務先はいつまでも紙のカルテのままであって欲しいと願っている。

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October 23, 2005

インオペ

悪性腫瘍の診断で根治手術が予定され,全身麻酔下に開腹すると予想以上に癌が浸潤していることが判明し,インオペラブルとなることが今でもある。patientは全身麻酔をかけられ腹を切開されるが癌病巣は切除されず,そう遠くない将来に死が訪れる。試験開腹術という手術の保険点数は存在し,自己負担分は支払わなくてはならない。patientとその家族は不幸なこと,この上ない。

外科医がインオペと決断すると,せいぜい腸管のバイパス術や人工肛門造設,あるいはただ閉腹するだけとなり,手術時間は予定より格段に短くなる。つまり,麻酔科医の仕事も早く終わる。

時間と心に余裕のなかった勤務医の頃,インオペの仕事が終わると私のなかでアーリマンとアフラ・マズダが喧嘩を始めた。

アーリマン:「しけたツラするなよ。いや,落ち込んでいるフリといったほうがいいかな。どちらにしても,演技力のないヤツが芝居をしても滑稽なだけだ。仕事が早く片づいたんだ,素直に喜べよ」

アフラ・マズダ:「patientが助からないのに喜べるはずがないだろう」

アーリマン:「何もpatientの不幸そのものを喜べとは言っていない。たまたま仕事が早く終わったことを喜べばいいんだ。今日は早く帰れるぞ。ラッキーだな」

アフラ・マズダ:「patientの命と引き替えにしてまで早く帰りたいとは思わない」

アーリマン:「癌が手遅れになったのはお前のせいか? 症状があるのになかなか病院に行かなかったのはpatient本人だ。クビに縄をつけてまで病院へ連れて行こうとしなかった家族にも責任はある。開腹しなければインオペを判定できない現在の医療水準や外科医の診断能力など,どれもお前の責任ではない。そもそも癌のひどさを事前にちゃんと評価できていれば手術が予定されることもなく,お前はこのpatientの名前も知らずに済んだはずだ」

アフラ・マズダ:「patientがどうあれ,インオペを喜ぶようでは医者失格だ」

アーリマン:「医者失格か人間失格か知らないが,青臭いことを言うなよ。似合わないぜ。直接患者を治療することが少ない麻酔科を選んだくせに。麻酔科なら手術が終わればさっさと帰れる。手術の終了は早ければ早いほどうれしい。今日は望み通り早く終わっただけさ」

アフラ・マズダ:「時間がかかっても,patientが治るほうがいいに決まっている」

アーリマン:「patientの年齢のこともあるだろうが,手術大好きな外科医がさじを投げたんだ。仕方ないだろう。イチかバチかの強行手術で痛い目に遭った経験もあるじゃないか。それにpatientのQOLのことも考えろ。インオペが最悪かどうかも微妙だぜ」

アフラ・マズダ:「patientは開腹され,腹のなかを探られ,そして閉創されただけだ。その場にいた誰もが無力感を味わったはずだ」

アーリマン:「外科の研修医もオペ室のナースも,早く終わったことを心のなかで喜んでいるさ。それにお前はよくやったよ。無力感を感じる必要はない。お前が入れたエピドラがよく効いているせいでpatientは痛みをまったく訴えずに覚醒したじゃないか」

アフラ・マズダ:「そんなこと気休めに過ぎない。とにかく,気分が晴れない。今日はもう帰る」

アーリマン:「それがいい。用もないのに病院にいても下手な芝居がばれるだけさ」

アフラ・マズダ:「だから,芝居じゃないって!」


フリーになってからもインオペが何件かあった。しかし,アーリマンは現れなかった。麻酔の仕事が早く終わってもすることがない。書かねばならない論文・抄録もなければ,作成しなければならない書類もない。会議も勉強会も症例検討会もない。翌日が休みのことも多いし,勤務日だったとしても仕事はたいてい午後からだ。少々困難な手術になってもこちらの時間と気力は充分で,心配なのは血液製剤の手配ぐらいだ。

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October 18, 2005

アラーム

麻酔という医療行為にアラームはつきもので,麻酔科医は生体情報モニターや人工呼吸器,輸液ポンプなどのアラームを毎日のように耳にすることになる。そしてそれらのアラームは必ずしも危険な状態を知らせるものではない。例えば麻酔導入時のマスク換気中にはハイパーベンチレーションになりがちで,カプノメーターはETCO2が低いだの,呼吸回数が多いだのとアラームを発する。気管挿管後,レスピレーターにのせた状態で体位変換や気管内吸引のために回路の接続を外すと,レスピレーターの低圧アラームが鳴り出す。術中検査のためにAラインから採血する際にはラインの一部が閉塞状態となるため,機械はこれを血圧の異常と検知してアラームを鳴らす。手術が終わって抜管すると,カプノメーターが今度は無換気としてアラームを発する。これらのアラームが鳴っても,こちらとしては「危険な状況ではなく,毎度のこと」と承知しているので,短時間なら無視し,長々とうるさければ「アラームの一時中断ボタン」を押して消音する。ところが,「アラームが鳴っても危険ではない」という経験が繰り返されると,本当に危険な状況を示すアラームが鳴っても人間がそれに反応しなくなる場合がある。アラームのオオカミ少年化である。

先日,東北大学病院で入院中のpatientの人工呼吸回路が外れ,アラームが鳴ったことに誰も気づかずに心肺停止となった事例が報道された。その病棟のナースたちは全員が救急外来に応援に行っていたらしい。

危険を知らせるアラームが鳴っても「いつものこと。危険ではない」として見逃すことと,アラームが鳴ってもそれを耳にする医療従事者がひとりもいないことと,どちらが救い難いかはさておき,「東北大学病院で起こったことは新医師臨床研修制度が遠因」とするのは深読みしすぎか?

2年前までは大学病院で研修を受ける新人医師は大学のどこかの医局に属し,その科のルーキーと言えば聞こえは良いが,つまりは最下層,下働きであった。そして救急の現場では(それ以外でも?)彼らはしばしばナースの代わりをさせられていた。エコーや透視装置など検査機器の運搬,点滴・薬剤の準備(薬局に走ることもあった),入院・検査の手配,CT室へのpatientの搬送etc。「技術も知識もなく,まだ医療行為は満足にできないのだから,せめてパシリぐらいしていろ」といった雰囲気があった。

ところが昨年から始まった新医師臨床研修制度により,大学病院で研修を受ける新人医師は(大学にもよるだろうが)従来よりも少なくなった。その上,研修医は労働者として保護され,(これも大学によるだろうが)過度の長時間労働は免除されるようになった。医局としても将来の入局者になるかもしれない「お客さん」にパシリ仕事ばかりさせるわけにはいかない。マンパワー不足を補うために一般病院から働き盛りの医師を大学に戻す現象が起きたが,研修医ではない彼らがパシリ医者をするはずがない。

東北大学病院ではナースが昔から病棟を空にして救急外来に行く慣習があったのなら,新医師臨床研修制度は関係ないかもしれない。しかし,大学病院に研修医が数多く存在し,夜遅くまで病院にいることが美徳とされた時代なら,研修医が病棟にいてあのアラーム(夜中ではなく夕方だったらしいが)に気づいた可能性もある。

大学病院にパシリ医者が少なくなったからという理由でナースの人員や仕事量を増やせるかどうかわからない。看護部としてはナースの雇用数が増えるのは歓迎するだろうが,個々の仕事量が増えることには抵抗するだろう。既得権をそうやすやすと手放すとは思えない。昔,某大学病院の循環器の医者が「ウチの病棟ではね,patientが胸痛を訴えるとナースはただ研修医を呼ぶだけなんです。研修医が心電計を病室まで運んで心電図をとるんです。たぶん病棟のナースは心電計の使い方を知らないと思います」と言っていた。

東北大学病院の事例は,「新医師臨床研修制度を進めるなら,医者以外の部署の制度も改める必要がありますよ」と警告するアラームのような気がする。耳障りだが危険のない,いつものアラームなのか,滅多に耳にしない危険なアラームなのか知らないが。

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October 15, 2005

ライバル出現

先日,バイト先の病院で面白い話を聞いた。

私が夏休みで2週間休んでいる間,代わりのバイト麻酔科医に2回ほど来てもらったらしい。その麻酔科医がどこの所属かも,どういうコネクションで話をつけたのかも,私はまだ情報を得ていない。代役を探したということで私が怒るのではないかといらぬ気を利かせ,誰かがope室関係者に箝口令を敷いたようだ。私としては怒るどころか,むしろ大歓迎なのに。
私の代わりとなる麻酔科医を病院が用意できるのなら,その病院で働きたくなくなったとき(例えばもっと良い条件の病院が見つかったとき),辞意を切り出しやすい。麻酔のバイト先を探すのは簡単だが,辞めるのは難しい。

私のバイト先のなかには,私が未来永劫その病院で麻酔をかけ続けるものと信じて疑っていないようなところもある。私としては,常に他の麻酔科医を探しているような抜け目のない病院のほうが与し易い。病院はより低賃金でよく働く麻酔科医を求め,麻酔科医はより好条件で働ける病院を探す。このような割り切った関係のほうがお互いのためである。

私のピンチヒッターを務めた麻酔科医がいずれ私に取って代わり,レギュラーの座を勝ち取る可能性もあるだろう。病院側がその麻酔科医を選んだならそれは仕方ない。向こうが「常勤医として働きたい」とでも口にしようものなら,私は即座に「来季構想外」を言い渡されるだろう。

しかしナースの話では,臨時の麻酔科医が来た当日は午後から全麻6例であったが,その麻酔科医は「並列はしない」と宣言しすべて直列でこなしたため,最後の症例が退室したのは午後11時前だったという。その一方,仕事中にたびたび舟を漕いでいたらしい。ナースも術者達も後日「居眠りするぐらい暇なら並列でしてくれればいいのに」「○○先生(私)なら,8時には終わっていたはず」などと陰で言い合っていたとか。

どうやら,私が夏休みをのんびり過ごしている間に私の株は少し上がったようだ。

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October 04, 2005

時間の奴隷

最近どうも歩くスピードが遅くなってきたような気がする。病院内でナースに追い抜かれるのは当然のことながら,そこら辺の歩道を歩いていてお年寄りに抜かれることもある。繁華街でこんな歩き方をしているとキャッチセールスの格好のカモになりそうだ。

勤務医だった頃は急ぎ足というより常に小走りだった。エレベーターでは箱が来るまで待てずに階段をかけ昇ったりかけ降りたりしていた。歩き方だけでなく,しゃべるのもいつも早口だったような気がする。時間にゆとりがなく,心にも余裕がなかった。その頃,私にとって腕時計はファッションでもステイタスシンボルでもなく,時間の奴隷であることを示す手かせであった。何時からカンファレンス,何時までにオーダーを出さないと受け付けてもらえない,何時に業者が来る,patientが外泊したがっているから何時までに術前診を,何時から会議,etc。
帰宅してまずすることは腕時計をはずすことであった。手かせをはずしても奴隷根性はなかなか抜けない。休日も何となく時間に追われているような気がした。

現在も仕事のときは腕時計をしている。どの病院の手術室にも壁時計はかかっているが,麻酔記録を書きながら時間を確認するには腕時計が便利だからだ。ただ,腕時計をつけている時間は勤務医の頃に比べ格段に短くなった。

patientの入室時刻は術者の外来の都合で遅れることはあっても早まることはない。私を追い立てるものは無くなり,時間の奴隷から解放された。

勤務医の頃とは違い,最近は手首に腕時計が無くても全く違和感を感じない。そのため,仕事のときにもつけ忘れて家を出ることがある。病院に着くまではケータイで時刻を確認できるが,病院内でケータイを時計代わりにするのははばかられる。先日,手術室の壁掛け時計はCアームモニターが邪魔で見えなかった。しかたなく生体情報(ECG+BP+SpO2)のモニター画面で時刻を確認していたが,文字が小さくてとても見づらかった。設定をいろいろいじくってみたが,フォントを大きくすることはできなかった。

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